去る5月中旬、久々に尼崎に赴いた。
大学生の頃から11年住んだ町で、初めて一人暮らしをした思い出の町でもある。その後、縁あって色んな場所に住む機会に恵まれ、その土地土地でお気に入りの場所があるんだけど、今回久しぶりに尼崎に訪れて、「ああ、こんなにはっきり自分の中に思い出が刻まれてるんだ」と改めて感じた。
2019年ぶりとなる尼崎。
前回は、阪急塚口駅前にあるカレー屋さんアングルに行ったので、今回はどこにしようか、と考え、思いついたのがつかしん。引っ越す直前までコンスタントに遊びに行ってた場所だ。
実家の滋賀から名神で向かう。6年ぶりの名神。もう道路を広げるのは不可能なのであろう。東名や新東名と比べると、狭くて曲がりくねっていて坂道がすごく多い。関東だと中央道みたいな印象だ。だからか、距離以上に長く感じる高速を尼崎ICで降りる。
大学生の頃、父がたまに送迎してくれたままのIC周辺の風景だけでなく、最初に住んだ南塚口のマンションまでの道の風景もほぼ変わらない。あの頃の思い出とともに同じルートを辿り、マンションを通り過ぎ、いつもの交差点で右折して、阪急塚口南口の駅前通りから県道13号へ入る。ノスタルジーモード全開でつかしんへ向かった。
県道13号の風景もそこまで大きく変わらないばかりか、つかしんの駐車場の入口も区画もあの頃と変わらない。
到着後、アルプラザ側から入って軽く店内をうろうろ。テナントが変わったところが多く、懐かしさは感じなかった。さすがに13年ぶりだとそんなもんかな、と思いながら、他の区画も見に行ってみる。
すると、特ににしまちは区画が変わっておらず、歩道橋やジョイントの通路はあの頃のまま。テナントも一部は変わったものの、そのままの所も多かったのもあり、一気にノスタルジーモードが再び全開になった。写真や動画をまわしまくった。
特に旧セガワールド前は、強く郷愁を感じた場所。今はGIGOとなったあの場所は、幾度となく通い詰めたゲーセンだ。セガラリー2の筐体は数えられないくらいプレイしたなー。うわー懐かしいなー。
寿がきやでお昼を食べる。ラーメンと五目サラダセット。ここもあの頃によく食べに来た場所の一つ。関東には寿がきやがないのもあって、帰省した時の楽しみでもある。
2000年代から付き合いのある編曲家の方と合流し、近況やらなんやらを話し込む。食事後は、適当に歩きつつお買い物とスイーツを食べたい、と立ち寄った喫茶店を楽しむ。
とにかくこの日はつかしんを味わい尽くす、ということで、たっぷり夜まで雑談しつつ買い物しつつという一日だった。
翌日早朝、早く起きることができたら向かおうと思っていた場所に向かう。
母校の英知大学跡だ。
英知は、残念ながら2015年に閉学して、その後、市の複合教育施設となっている。複合施設となってからは初めて足を運ぶ。こちらは13年ぶり。
宿に向かった昨晩は気づかなかったけど、明るい時間帯だと風景が当時とそこまで変わらないことに気づく。
原付でよく通った英知への幹線道路には、よく給油したガソリンスタンドと、何度も音楽系クラブのメンバーとたむろしたすき家がそのままある。もうこの時点で胸がいっぱいになった。藻川の橋を越え、右折。こんな細い道だったっけ、と感じつつ、百合学園を抜けていざ英知の正門前近くのタイムズに駐車する。
現役時代だった20年以上前には見られなかった、時間貸し駐車場が周辺に少し増えた。
車を降りて、徒歩で正門前に行く。何とも言えない感情が交差する。
写真と動画を撮りつつ、敷地の周りを歩いて裏門方面に向かう。
どうやらそのまま利用されていた元・教室棟の建物は、近いうちに取り壊されて新築されるらしい。寂しいね。仕方がないとはいえ。その工事現場も記録に収めた。
ある程度南に歩くと、これまた現役当時はなかった新興住宅地が左手にみえる。元は、テニスコートとグラウンド、駐輪場、留学生寮だったスペース。閉学より前に、既に売却されていた区画には、建設されてある程度長い年数が経った住宅がびっしり建っている。
馴染みのない光景を背に歩を進め、青春の記憶が詰まっているフォークソング部と軽音部のスタジオが見える、現・裏門前へ着く。裏門も、区画整理に伴って体育館前に移動された。体育館一階にあった食堂は、こども食堂として再利用されているんじゃなかったかな。
その裏門からみえるスタジオの入口。しばらく目に焼き付けた。
数々の学内バンドの練習と、セッションをしたスタジオ。
この場所は、まぎれもなく僕の青春にはなくてはならない場所だ。
よく出入りしていた2005年あたりまでは、プレハブが2棟建っていたが、それらは取り壊され、何かの資材の残りと思しき残骸が貯水タンクの奥に雑多に置かれている。
スタジオ入口は、ぱっと見20年前と同じ光景だけど、当然フォークソング部が健在だった頃にあったホワイトボードはもうない。そして、両スタジオの前あたりは、畑っぽい区画になっていた。あぁ、そういえば、このスタジオの裏手は音楽室で、3年の頃に授業を受けたなぁ。
胸が高ぶると言うよりは、この瞬間の画を目と心に刻みたいという感覚が強く、写真でも動画でも、周りの景色とともに記録した。
しばらく懐かしさと寂しさを味わったのち、もと来た道を戻って駐車場に向かう。当時は原付で何度も通った道。このあたりを歩くなんて、まずなかったな。
ここでも、曲がる交差点を写真と動画で撮影する。
住宅地の右手に元・サピエンチアタワーが見える。さっきよりは郷愁を感じないけど、やはり一株の寂しさはある。
もう一度、正門の前に戻り、改めて敷地全体を見渡す。そうか、戻ってきたんだな。でも、あの頃の姿じゃないんだな。気ままな青春を過ごさせてくれてありがとう。
具体的に何がかはわからないけど、心のなかにあった英知のアルバムが、少し整理できたように感じた。
今回訪れた塚口から園田エリアは、特に「自分は確かにここに住んで生きていたんだな」と強く感じる。
実際、足を運んでみて、改めてあの頃に色んな人と交わした笑顔をより明確にたくさん思い出すことが出来た。
地元にいた高校時代よりも明確な意思で音楽家を目指していたし、その思いを胸に数々の学内バンドで演奏する機会に恵まれたし、最初に音楽で報酬を頂いたのも大学時代だし、プロの音楽家になるには、当時所属していたフォークソング部の後輩の紹介がなければなれなかった。
確かで強い足跡がそこに多くある。
そのことを改めて実感した二日間だった。
ありがとね。またね。
追記
2008年、僕が関西を離れる時に英知大学前で撮った同期たちとの写真がある記事も載せておきます。
最終修正:2025-06-01
Tetsuya Tanaka

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