2009年頃にTwitterを始めて、少し経ってからある方と知り合うことが出来た。
その方は主にニコニコ動画やYoutubeで無名だけどクオリティの高い、或いはこれからグイグイくるであろうインディーズミュージシャンの動画をよくツイートで紹介されていて、それらを紹介する配信もやってらっしゃった。何がきっかけか忘れたけど、それまで全く違うフィールドにいた自分ともフランクに接してくれたのを覚えてる。音楽の話題以外でもノリが良くて幾度と無くヨタ話して盛り上がったり、それがきっかけで繋いでもらって今日も続いている縁もある。多分あの時にTwitterで絡まなかったら一生絡まなかったであろうみんなと知り合いになれた。最近は少しご無沙汰のSNSだけど、最初の絡みを見るともう5年の付き合いになる。
その方が、亡くなった。
突然ではございますが、先日1/27にさっちゃんが亡くなりました。暫くついったーからは離れていたようですが、良くして頂いた皆さんも多くいらっしゃるようでしたので、この場を借りてご報告させて頂きます。
— さっちゃん (@sacchan_15) 2016, 2月 1
このアカウントはさっちゃんのためにもこのままにしておこうと思います。生前ご厚誼を賜り、御蔭さまにて心豊かな生涯をおくれた事を故人に代わりまして御礼申し上げます。どうぞ、さっちゃんはゆっくりお昼寝でもしているのだと思って頂き、たまに思い出して頂ければ幸いです。
— さっちゃん (@sacchan_15) 2016, 2月 1
さっちゃんの身内の方がこう報告されていたのをみて、信じられず、未だに心が整理できずにいる。散文になってしまうだろうけど、これは言わせてよ、さっちゃん。
いつも誰に対しても分け隔てなく接してくれてたあなたは、みんなの母だと思います。本当に今までありがとう。そしてお疲れ様。願わくばゆっくりみんなのこと見守っててね。偉くもなんともない僕をいつも「先生」って呼んでくれてたさっちゃん。ネタにはきっちり食いついてくれたさっちゃんw伝説の春のムラムラでは神っぷりを発揮したさっちゃん。RBR配信した時も遊びに来てくれたっけ。僕のアルバムの感想をリアルタイムにツイートしてくれたさっちゃん。書いていけばキリがないけど、やっぱりありがとうって言いたい。
さっちゃんのTwitterアカウントは遺族の方が残してくれるらしい。たぶんちょこちょこ見に行くんだろうな。そうそう、この時こんなこと言ってたね、楽しかったよねーって。あの日のまま残っているというのは寂しくもあるけど同時に嬉しくもある。いつでもそこに行けば会えるんだもん。ちょうど知りあった頃の2010年あたりがTwitterを一番使ってた時期でもあって、ログを見てみるとさっちゃんとのやり取りが一番多いんだ。楽しかったよ。最後に、最近やってないアレでお別れの言葉にします。
レー!

Tetsuya Tanaka
記事を気に入って頂けた方は、上にあるいいねボタンを押して頂けると嬉しいです。プロフィール:レコーディングディレクター、作編曲家、トラックメーカーのかたわら、レースシミュレーター・フライトシミュレーターのWeb管理、日英翻訳、フライトシミュレーター実況配信をやっています。滋賀出身千葉在住。WindowsとStudioOne使い / Spotify他各音楽配信サービスでアルバム、シングル配信中です。僕のセレクトしたプレイリストも随時更新中してます。 => Tetsuya Tanaka on Spotify
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[…] 5年のお付き合いだった友人のことを書いた前記事だけど、そういえばこの5年間で変わったことってなんだろうと思ったので書いてみよう。 1.住まいが変わった 2.結婚した 3.海外に住んだ(実はその時が初海外) 4.携帯をMNPした 5.制作チームでのポジションが制作側から監督側に 6.猫派から犬派に 7.新しいPCになった 8.よく寝れるようになった 9.SNS(とりわけFB)と少し距離を置くようになった 比較的大きいもので思いつくところこんな感じかしら。 逆に変わってないことってなんだろう。 1.Richard Burns Rallyやってる 2.車 3.制作用スピーカー いの一番にラリーシミュレーターのRBRが出てきたよねw今でも仕事の合間に出来る大事なシミュレーター。実際モータースポーツ関係者も多くプレイしていて、競技のイメージトレーニングに使ってるソフトでもあります。昨年のQ1に大きなニュースがあって久々にオンラインラリー復帰したのもこの頃。でもって昨年末には、製作に携わった方々への感謝で下の動画を作ってみた。 思えば、関東に住み始めたのも気付いたら結構前になるし、海外チームでやってるのも下積み時代も含めたら10年以上。この先も長くやり続けるであろうRBRも然り。 関西でやってた頃、自分のやり方ってちょっと特殊でそれはダメなのかな、と思ってたこともあった。でも今はそうしてやってきて良かった、自分のやり方を確立して良かったと思う。この方法でしか知り合えなかった方々と関わることも出来てるし。昔から変にカンがいいところがあって「あ、これあかんやつや」と思ったらササっと引くか、レールの切り替えレバーを倒すんだよね。 変わったことをもう1つ思い出した。昔みたく全部を自分でコントロールしようとしなくなった。前は「何かやるなら運命共同体的に動いてくれ」って思ってたけど、最終的に自分の首も相手の首も絞めちゃうことになるからやめた。するとあら不思議。また新しい道が開いたんです。詳細は伏せなきゃならんのだけど、新しい現場(といってもやり取りはネットだけど)を任せて頂いた。明らかに前より余分な力が抜けていい感じ。そのかわり、物事の解釈は以前より慎重に見極めるようになってる。 実はこれ、ずっとやってるRBRと同じなんだよね。いいタイムを出したい、きっちり完走したい。じゃあどうするか。余分な考えや力を抜いてゼロベースでみてみる。それでも必要なことは絶対身体が覚えてる。どうあがいてもミスはするものだから、そのミスをした時の舵取り。時に正反対の考えも視野に置く。 さてさて、これから先はどういう変化が起きて、何が変わらない事象になっていくんだろうな。 […]