日本人が自宅で死に葬儀をしていたころ、祖父や祖母ら親戚が死体になるのを子供が見ることは普通の日常だった。思えばあれは「人間は必ず死ぬ」という大切な人生の真理を学ぶ場だった。その学びの場が減ると同時に、生命を実感できない日本人が増えたのはある意味自然である。
— 烏賀陽(うがや)弘道 (@hirougaya) January 29, 2014
根底にある大義は同感だなー。
僕の地元でもむかーしは家で葬儀もやってたし、土葬だった地域もあった。
だからと言ってやり方どうこうで生死の本質が薄れるわけではないし、やり方で変えられる所は変えていくべきだと思う。
でも、最近葬儀に子どもを連れてくる親御さんが減ったな、とは感じる。色んな人に迷惑かけたらって思って連れてこないのかも知れないけど、葬儀って、故人のお別れの場という大義とともに「あなたは残念ながら旅立つけど、この子はこんなに大きくなったんだよ」「あなたと会えない間にこの子を授かったよ」など、別れとは反対にある希望を実感し、親しい人たちで共有する場でもあると思ってる。
それに、子どもがその場にいてくれると笑顔になれるもんね。すごい事だよ、それって。そして子どもは、死は日常のすぐそばにあるってことや、命の尊さを暗に少しずつ分かっていく。引用したツイートみたいに。
だから僕も別れの場には子どもが居て欲しいし、連れてきて欲しいと思ってる。
仏教のお経の中にも「人間はつきつめてみると、一人生まれ、一人死に、一人来りて、一人去る。誰も替わることは出来ない自らこれに当たる」にあたる言い回しがある。このフレーズは、葬儀の場の一回しか詠まれないのもあって、いつの頃からか強烈に頭の中にある言葉だ。一人来りて、一人去る。世の常なんだなぁ。
t_tanaka
音楽家 / 編曲家 / Twitchストリーマー / フライトシマー。2001年よりプロの演奏家として関西を中心に活動。2008年より関東に本拠を移し、インターネットを使ったリモートでの音楽制作チームを結成し、以降は編曲家とチームマネジメントに特化した活動を続ける。








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