2011年に自分名義のアルバムを配信した際、音楽の技術面以外で一番優先したことがあります。それは、配信業者と配信サービスに変にリミットをかけたくなかった、ということです。
具体的に言うと、日本国内でしか聴けないとか、限られたストリーミング・販売サービスでしか聴けないとか、それらは避けたかった。全世界で色んなツールで聴けるのがいいと考えて、その希望に一番近いアグリゲーター(配信業者)を選びました。
正解でした。
今って、一昔前みたくオンライン購入だけでなくて、定額ストリーミングが主流になってますしね。
変にリミットをかけないほうが得だっていうのは、当時に所属していた海外チームのメンバーもそうしていたからっていうのもあります。彼らがそうしてワールドワイドな仕事を受けられるのも、どの国でも同じように作品が聴けて購入できるからです。
日本にも定額ストリーミングがやってきて久しいですが、実は、日本と海外のストリーミングサービスは、名前は同じでも少々その中身が違います。一番違う点は、扱っている曲の多さ。日本のアカウントの方が曲が多いです。
これだけ見ると、アドバンテージになり得るんですが、これはユーザー側の恩恵。
海外アカウントのSpotifyから日本のアーティストや曲を検索すると、聴くことのできる日本の音楽は、日本のアカウントの半分くらいの割合になります。
これね、アーティスト側やレーベル、販売元、著作権管理団体は、ものすごくもったいないことをしています。単純に、日本の音楽が世界に出ていかないので、海外のフェスやコラボレーションの機会を自ら逃してることにも繋がってると思うんです。
権利の保護はもちろん大事です。しかし、それも行き過ぎると音楽文化自体が廃れていく、或いは、既に廃れていっている部分もあります。個人的には、ストリーミングやダウンロード販売に日本特有の制限をかけるのは全くナンセンスだと思います。